アメリカ先端医療〜治療〜
【プロフィール】
扇田 信(おうぎた・しん)
2003年 | 筑波大学医学専門学群卒業 |
2003年 | 国立国際医療センター 内科研修医 |
2005年 | Beth Israel Medical Center (BIMC)、ニューヨーク、米国 内科 |
2008年 | Barbara Ann Karmanos Cancer Institute、デトロイト、米国 血液内科・腫瘍内科 |
【 専門資格 】
医師免許(日本)
ECFMG(アメリカ医師免許)
American Board of Internal Medicine(アメリカ内科専門医)
医師を目指されたきっかけをお教えください。
私は子供の時からずっと通院して薬を使っていました。
私の病名は「小人症」といい、ホルモンの分泌の影響で低身長でした。当時は第二成長を遅らせるようなホルモン治療や、成長ホルモンの直接注射など様々な治療を行いました。十年ほど治療をして今こんな感じです(笑)
それらの薬には多くの副作用がありました。薬を投与される際に医師から癌になる可能性があることを聞かされましたので、それについて自ら考え調べるなどした後に実際に使ってみる、そういったところから徐々に医療のことが面白くなり、医師になってみようと思ったのです。
また、当時は患者に分かる医療よりも「良くなればそれでよし」という感じでした。我々患者は知識も不十分ですし、よく分からない治療をされることは非常に不安です。患者の立場で芽生えたこの気持ちが、医師になって「患者に分かる医療」をやりたいと思ったきっかけでもあります。
筑波大学医学部に入学されてからのエピソードを教えてください。
日本の医学教育の中では筑波大学は非常に臨床実習の時間が多いと言われていたのですが、私にはそれでも少し物足りませんでした。医学教育にはもっと中身の濃い臨床実習があった方が良いと思います。
5年生でようやく始まる臨床実習では、研修医の先生に付いて勉強しますが明確な達成目標があるのではなく、漠然としたカリキュラムがあるだけです。あくまでも学生はお客様であり、知識をつける事が優先されていました。とてつもない量の課題や患者さんに対する責任が与えられるわけではありませんでした。研修医の先生と一緒に患者を診るだけです。
そこで私は6年生になる前に、1年間休学をして親戚のいるスイスで臨床実習をしようと思いました。半年はイギリスで英語の勉強をし、残り半年をスイスでの実習に充てました。
スイスはいわゆる主治医制があり、自分の主治医に何でも相談してそこから専門医を紹介されるという制度でした。プライマリーケアを学ぶには良い半年間でした。
そこで2名の素晴らしい先生にお世話になりました。そのうち1名から、ご自身の経験を踏まえてアメリカで医療を学んだほうがよいとアドバイスしてくださいました。そこでスイスの研修が終わった後にアメリカで臨床実習することにしました。筑波大学では6年生の最初の3ヵ月間は自分の時間を好きに使ってよいのです。基礎研究をすることもよし、海外で研修するのも良かったのです。海外での研修には大学の選抜試験に通らなくてはいけませんでしたが。
なぜ、数あるアメリカの病院の中でその実習先にしようと思われたのですか。
HarvardやCornellは実習を受け入れてくれると言ってきたのですが、3ヶ月で学費だけで100万近くかかります。そこで全米中の医学部を調べて安くても受け入れてくれそうな所すべてにメールを送りました。すると、ヒューストンのBaylor大学が100ドルでよいと言ってくれました。Toronto大学も良いと返事をくれたのでそこにも願書を出しました。Baylorで2ヶ月、Torontoで6週間勉強させて頂きました。学生という身分でしたが、日本とかなり違って様々なことを任されました。責任を持たせて頂けるので非常に有意義で面白かったです。帰国後は特にアメリカに行こうとか免許を取ろうなどと思った事はなかったのですが、一緒に留学した同級生がアメリカの医師資格試験(USMLE)を受けようと誘ってきたので、日本の医師免許を取得した後にアメリカの免許も取りました。当然アメリカで働く事にそこまで真剣ではなく、勤務地の探し方も分からなかったので日本で働き始めました。
国立国際医療センターでの研修医生活は大変でしたがアメリカではできない多くの経験をさせていただきました。
癌患者の診療もして、日本の癌診療の問題点がいくつか分かりました。そのひとつが癌診療が臓器別のため発生臓器が不明な癌(Cancer of unknown origin)を持った患者さんは満足するような診療を受けるのが難しいことです。また癌患者は様々な合併症を全身に起こします。それを様々な角度から治療するというmulti-disciplinary team approachという診療が日本では未だに浸透していませんでした。
例えば乳癌や胃がんの5年生存率といった治療成績は日本は素晴らしいのですが、癌患者全体の治療となるとアメリカが進んでいます。良い癌治療を行うためには内科・外科全般の経験・知識が必要になりますが今の日本の研修制度ではそれを身につけるのは難しいでしょう。
それがきっかけで渡米されたのですか。
そうですね。Medical Oncologist (腫瘍内科医) という腫瘍だけを治療する医療が必要だと分かったので、アメリカの免許もあるしポジションを見つけたら渡米しようと思いました。
しかし日本で働きながらアメリカで面接を受けるのは非常に難しく、渡米に消極的になっていました。全米全体でみて外国人は3人応募してそのうち1人くらいしかポジションを得られませんし、面接のためのお金もかかります。
しかしそこで素晴らしい出会いがありました。Nプログラムという日本人医師にニューヨークで内科の研修を受けられる機会を与えてくれるプログラムがあり、その責任者である西元慶治先生に面接をして頂きました。このプログラムは元々は東京海上がBeth Israel Medical Center (BIMC)の外来部門の一部に日本人向けの外来クリニックを開設するために寄付をしたことと、BIMC のCEOであったRobert Newman先生が非常な親日家であったことから始まりました。その後のステップを踏み、正式に採用してくださったのです。渡米が決まったのが2005年1月でした。研修医として2年目でした。
採用試験はどこで受けられたのですか?
実は日本です。BIMC, St. Luke's-Roosevelt Hospital Center (SLRHC), New York Eye and Ear Infirmary (NYEEI), Long Island College Hospital (LICH) という4つの病院がContinuum (*1) を形成しており、私の時はSLRHCから世界的に有名な循環器の故Lesch先生が来日して面接をしてくださいました。そして私はBIMCでの勤務が決まりました。
この機会がなかったら私はアメリカにいなかったと思います。西元先生、BIMC、東京海上の方々のおかげで今の私があります。
(*1:グループ病院のようなもの)
Nプログラムがなければアメリカに行く事すら出来なかった方が大勢いらっしゃるのでしょうね。
そうですね。日本でも医療は学べますし、こういったプログラムがなければわざわざアメリカでチャレンジする医師はさらに少なくなると思います。
日本では、例えば10年後は○○病院の医長をやっていて20年後はこれぐらいの規模の病院でこれくらいのポストになっている、などというプランは非常に描きやすいのですが、「医師として」10年やったらこういう事が出来る、などというプランが非常に描き難いことに私は違和感を持っていました。肩書きは描き易く、中身が描き辛い。少なくとも私は何年経ったら△△ができ、そのためにはこういう事を学ばなければならないという目標がはっきりしているほうが好ましかったのは事実です。
BIMCではOncology (腫瘍学) を学ばれたのですか。
いえ、Oncology領域の後期研修(フェローシップ)を受ける為には、まず3年間内科の初期研修(レジデンシー)を受けることが必要です。最初の3ヶ月は英語がうまくなく、落ち込むくらい大変でしたが、よく出来たプログラムですしその後はスムーズでした。自分のやりたい事をさせてもらいつつ、かつ内科診療に自信が持てるようになるのです。内科医になるという点においてはアメリカのプログラムは優れていると思います。出来なければならない事象がはっきりとしていて、その目標に向かって進んで行く事ができます。
その後Oncology領域の後期研修に進みます。アメリカにはOncology領域だけでピンからキリまで120くらいのプログラムがあります。トップクラスはアメリカ人でも入ることが困難です。外国人であることはフェローになる上では非常にマイナスです。永住権(グリーンカード)・市民権がないとアメリカ国立衛生研究所(NIH)をはじめとする研究費(グラント)の申請ができないからです。
後期研修の3年では専門のトレーニングと並行して研究も行います。1年間半は研究、あと1年半は臨床で患者さんを診察します。120の後期研修プログラムの内、41くらいがNational Cancer Institute (国立癌センター) の指定したComprehensive Cancer Centerという施設です。ここではOncologistだけでなく様々な分野の専門家が多く集まっていて様々な治療が行われます。そこでは非常に良いトレーニングを受けられますし、私はそこにどうしても入りたかったので41すべてに応募し、5〜6箇所から面接に呼ばれました。今のBarbara Ann Karmanos Cancer Instituteという所は30年ほどComprehensive Cancer Centerとして機能している歴史あるセンターです。特に治験のPhaseTでは世界的に有名です。臨床研究が強く、私が強く興味を持っていた治験に携わることができることからもKarmanosはよい環境だと思います。
優れたセンターなのですね。
私が癌患者になったらここのセンターを受診したいと思うくらい素晴らしい所です。専門家が大勢集まり、治験・研究・診療が並行してできるのが素晴らしいと思います。
患者はもちろん標準的な治療も受けられますし、その治療が上手く行かなかった時はいつでも治験に進めます。治験が診療のオプションに常に含まれるのがこのセンターの素晴らしい所だと思います。
それは素晴らしいですね。
そうですね。日本では肺がん治療にイレッサが使われていますが、この薬はアメリカの市場からなくなった薬です。アメリカではほぼ同じ効果で肺への副作用も少ないとされているタルセバという薬が採用され、イレッサは承認されていないのですが、当センターでは実際にイレッサを使っている患者がいるのです。それはその患者には効果が出ているからです。治験に参加して効果が出ている患者では例えその後市場からその薬がなくなっても、製薬会社は治験薬を無償で患者に提供します。特にPhase Iでは人間に初めて使用するのでリスクが伴います。そのリスクをとって治療するので当然治験に参加する患者には無償で治験薬が提供されます。
日本でも同様のケースはありますか。
どうでしょうか。日本より前に海外でPhase Iをされていることが殆どなので、本当にその薬が人間に初めて使われるというPhase Iが日本でどれだけ行われているのか私は知りません。非常に問題なのは、日本人に対して効果が分からない海外承認薬を個人輸入して使用している日本人がいらっしゃるのです。アメリカでは被験者に無償で提供されている治験薬を、日本人への効果が全く分からない状態でかつ高額で購入しているのです。それは患者にとって非常に不利益な事だと思います。
日本でも必ず治験を受けなければならない方、治験のメリットがはっきりすれば受けたい方もいるでしょう。学術的に見てもアジア人のデータは少ないので世界的にもデータは欲しいはずです。やはりアジア人と白人のデータはかなり違うとの結果が出ているので、非常に興味深いのは確かです。
治験を広めるための策はありますか?
治験コーディネーターを増やすことが必要だと思います。日本では患者に治験を勧める役割を医師が行っています。医師は基本的に標準的な治療を考えるものですし、よほど自分でこの薬を使いたいと考えている医師以外は治験のリストは覚えていません。その役割を治験コーディネーターに集約して、どんどん患者に参加してもらうことがよいと思います。治験はもちろん実験ですが、実験が後世に対する利益だというだけでなく実験に参加する患者本人に対する利益をきちんと説明する事が重要だと思います。臨床で忙しい医師に治験のコンセプトやメリットを時間をとって説明することは難しいですし非効率です。
最後に、海外の医療現場での活躍を目指していらっしゃる方へメッセージをお願いします。
まず人の繋がりを大切にして欲しいと思います。私がアメリカに行けたのも西元先生や多くの先生のおかげです。今の癌センターに勤務できたのはBIMCのOncology領域でトップのBlum先生のおかげです。Blum先生は、フェローシップに入るための研究で何をしたらよいかさっぱり分からなかった私の悩みに大変親身になってくださいました。そして、「全く経験もなく何をしていいのかも分からないというのは困るけど、まぁ取り敢えずこの人と会ってみなさい」という感じで様々な方に会わせてくださいました。そのような環境の中で私は研究テーマを見つけることができ、研究がある程度出来るようになって今のポジションを見つけることができたのです。多くの方のおかげで今の自分があるという事を非常に強く感じます。海外は特に知り合いがいませんし、人にお世話になり感謝しつつがんばることが大切だと思います。私の人生は非常に幸せです。
次に、やはり目標をしっかり持って頂きたいです。海外で勉強する際はよほど計画性を持たないと時間をロスする事が多いです。ビザにも期限がありますし、やると決めたら即行動することが非常に重要だと思います。
最後に、日本で経験した研修や臨床も必ず糧になります。日本の制度は世界の制度と大きく違います。良い点もたくさんあるので日本でしっかり学んで海外へ行くことも非常に重要です。国立国際医療センターでの経験は私にとって非常に価値あるものです。