食育の大切さ
【プロフィール】
家森幸男(やもりゆきお)
財)生産開発科学研究所 学術顧問
武庫川女子大学 国際健康開発研究所 所長
1962年 | 京都大学医学部卒業 |
1969年 | 米国国立医学研究所客員研究員 |
1975年 | 京都大学医学部助教授 |
1976年 | 島根医科大学教授 |
1987年 | 京都大学大学院人間・環境学研究科教授を経て同大学名誉教授現在に至る |
科学技術庁長官賞、日本脳卒中学会賞、米国心臓学会高血圧賞
日本循環器学会賞、ベルツ賞、杉田玄白賞、紫綬褒章受賞
主な著書
・「長寿食」世界探検紀 / 筑摩書房
・110歳まで生きられる!脳と心で楽しむ食生活 / NHK出版
・栄養学のABC〜もう一度、食べ物さん、ありがとう! / 朝日新聞社
・大豆は世界を救う / 法研
ほか多数
「食育の大切さ」
黒田:家森先生が冒険学者になられるまでの経緯をお聞かせください。
家森:1960年代以前は、死因は結核が最も多く、私の父親は結核患者に一生を捧げた人でした。私もそんな姿を見て育ったため、自然と臨床医への道を考えました。ただ、私が京大の大学病院でインターンを始めた1962年頃より、死因は脳卒中が結核に代わって一番多くなり、根本的な治療が分かっていなかった病気をたった1つでもこの世からなくしたい、そんな思いを持つようになりました。それが、病気の原因を解剖して調べる剖検病理学の道に進むきっかけになりました。しかし、ついには「剖検」ではなく「冒険」をする学者になりました。
というのも、当時の研究には大きな壁がありました。脳卒中は年を取って血管がもろくなったから起こるものだと考えられていましたので、剖検をして調べてみましたところ脳がクシャクシャになっており血管の障害の根本的な原因が分からなかったのです。そこで、動物のモデルがあれば研究は進むと考えました。
そんなとき私の恩師の岡本耕造先生が、高血圧を自然発症するラットの系統を作っておられたため、何とかしてそこから脳卒中を起こすラットができないかと思い、研究を始めました。しかし、人間は高血圧になったら脳卒中が多くなるのですが、ラットは脳卒中は起こさないのです。
そこで当時、東北地方の農繁期に脳卒中が多い原因の一つとしてストレスのせいだと言われていましたのでラットにストレスを与えたところ、高血圧ラットの中には血圧が上がりやすい家系のあることが分かり、ついに脳卒中で倒れるラットが出たのです。そのような高血圧ラットの家系を掛け合わせることで、脳卒中になりやすい系統が出来たのです。今ではこのラットは、ストレスに感受性がある遺伝子を持っており、さらに食塩を与えると血圧があがり脳卒中になりやすい遺伝子を持っていて、確実に脳卒中になるモデルラットが出来たのです。
モデルが出来て、脳の血管はどのようにして障害を起こして行くかが分かってきました。脳の細い血管の平滑筋細胞の外周から障害が起こってくるということです。すなわち、一番血流から遠いところの栄養障害がまず起こり、貪食細胞など炎症細胞が関与して病変が進むなどが初めて分かったわけです。
脳卒中ラットは病因の解明に役立ったほか、さらに2つの点で貢献しています。いち早く貢献したのは降圧剤の開発ですが、もう1点大きな貢献をしたのは栄養の予防効果です。
では、その栄養の効果を人間ではどのように調べたらよいのでしょうか。私たちは世界中の食生活を正確に調べたいとWHOに提案し、1983年に認めて頂きました。これは日本から提唱し、研究費を日本の民間からWHOに寄付をして世界的規模で実施した、WHO関連の恐らく唯一の研究です。
そしてその栄養状況を調べる方法として我々が考案したのが、世界中の方々を対象として徹底的に丸1日、24時間の尿を工夫した装置で集めることでした。
黒田:尿で分かったことは何でしょう。
家森:20年もかけて行っておりますが、見事な結論が出ました。寝たきりや認知症の原因になっている脳血管性認知症の方は、日本では現在150万〜200万人もいらっしゃり、今から20年後倍増するのではと懸念されています。私どものデータによると、世界中で食塩の量を1日6〜7グラムに下げると年齢を調整した脳卒中の死亡率はゼロになると推定されます。日本の厚労省の目標は1日10グラムですが、WHOの目標値は1日6グラムです。日本でもこの世界目標が達成できれば、日本の認知症患者が倍増する懸念は払拭できますね。
そして私たちの研究により食塩と、食塩の害を打ち消す栄養との関係も出ました。それはまずカリウムです。ナトリウムとカリウムの比率が大きいと脳卒中が多いし、小さいと脳卒中は少ない。マサイ族は一番立派で、ナトリウム/カリウムの分子量の比率が0.9なのです。
つまり、分母にくるカリウムの摂取量が多いのです。食塩の摂取量ではなく、カリウムとの比率が大事ということです。カリウム以外にも、食物繊維やカルシウム、マグネシウム等が該当しますが、それは野菜やイモ、海草、乳製品などに豊富に含まれています。その上、たんぱく質も食塩の害を打ち消しますのでバランスよく食べれば脳卒中は予防可能です。
一方で、人は血管と共に老いると言いますが、脳卒中よりも早く起こってくる病気は心筋梗塞です。日本人女性は世界の先進国の中で最も心筋梗塞の発生率が低かったのです。フランスがそれに次いでいます。調べてみると、コレステロール値と一番関係しております。ただ、コレステロールだけが悪いだけではなく、それを打ち消すような因子をどれだけ摂っているかということが大切です。フランスのオーレアンという地方都市の結果ではコレステロール値の平均が220mg/dlと、高脂血症です。しかし、赤ワイン、野菜・果物をしっかり摂っているため心筋梗塞になりにくいのですね。つまり、抗酸化栄養素がよいという結論になるのです。更にこの研究ではっきり分かったのは、大豆と魚が良いという事です。大豆や魚を摂っている人々は肥満が少なく、コレステロール値が低いのです。魚の成分タウリンは交感神経の働きを抑え、血圧が下がるほか、心拍数がゆっくりします。心臓に無理をかけないのです。
このタウリンと野菜・果物に多く含まれるカリウムによって、ストレスホルモンの分泌が抑制されます。現代の子供では魚や野菜離れが問題で、キレやすいという現象は、このような栄養のバランスの悪さが関係するかもしれません。
黒田:確か武庫川女子大学付属高等学校の生徒さんが小学生に食育をされていると伺いましたが。
家森:そうです。高校生自身が今まで良い食生活をしていないため、食を勉強して小学生に教える事によって、自身の勉強になる。子供が子供を教えるという新しい食育の方法を私どもの研究所の栄養士が学校と協力して実施しています。
また現在、国を挙げて食育プログラムを行っています。主菜・副菜のバランスのよい食事を促しています。それから日本の伝統食としてはご飯を食べる。農水省は私たちの世界調査の結果を紹介していますが、ご飯を食べている人々の方が肥満が少なくコレステロールが低い。従って心筋梗塞が少ないのです。
日本食の食塩を摂りすぎることや、カルシウム不足・野菜不足は改めなければなりませんが、日本の伝統食の良さをフルに活かし、美味しく食べて生活習慣病を予防するプロジェクトに取り組んでいます。
そして、同じ日本人でも沖縄在住の方とブラジルへ移住した方とでは17年も寿命に差があります。なぜなら、ブラジルは塩と脂中心でコレステロール値が上がりやすい食生活だからなのです。塩分が多いと血圧が上がる上に腸を流れるリンパ液が多くなり、コレステロールの吸収・中性脂肪の吸収が促進されて動脈硬化・肥満になってしまいます。
このような疫学研究から基礎研究にもまた新しい展開があるのです。
私たちは、30年も前に脳卒中ラットが動脈硬化のモデルにならないかと考えました。それで高脂肪食や食塩を与えて高脂血症が起こりやすい系統を作ったのです。高脂血症が起こりやすいラットの中には、1、2週間で血管に累々と脂肪が付いてくるラットがあり、ついに動脈硬化が起こりやすいモデルが確立できました。このモデルを活用すればどうしたら予防ができるかという研究も可能です。このモデルラットの系統作りに30年以上もかかりましたが、近い将来これによって新しい治療法が開発される可能性、予防医学の新しい研究の可能性が開けると思うと楽しみですよね。
黒田:面白そうですね。
家森:大変面白いです。こういった基礎的な研究は、時間はかかりますが最終目標はやはり人間の役に立つということです。長寿を全うするためには、血管の病気が決め手になります。血管の病気をいかに栄養でコントロールして健康に保つかということです。
黒田:まさに食育というところが大事になってくるのですね。
家森:私どもが力を入れている事は、『一日一膳』、1日に1度でも体に良い食事をしましょうという事です。脂肪でカロリーを取るのではなく、ご飯でカロリーを摂り、食塩や脂肪が少なく、野菜が多くて主菜となるものは大豆や魚を中心にし、ブイヨンで味付けをして肉と同じように楽しんでいただく昼食を1ヶ月も摂れば、生活習慣病のリスクが下がることも証明しました。
また、『食はバランス。ご飯・大豆と減塩で元気な兵庫!』と呼びかける健康運動を兵庫県で行ったところ、まず減塩で成功いたしました。そして更に大豆の摂取が増えたことを24時間採った尿で証明しました。こういう食生活を続けていただければ大変な効果が期待できるのです。兵庫県は560万人、日本国の20分の1の人口です。この560万人での県民運動がうまくいくと、将来的に兵庫県は脳卒中の治療費だけで、年間300億円、日本ではその20倍の5〜6000億円の節減が可能です。日本では、脳卒中治療だけにかかる費用が約2兆円ですからそのうちの30%近くを高齢者の福祉などの良い事に使えるのです。
黒田:医療に従事する多くの方々に向けてメッセージをお願いします。
家森:二十数年かけ、私たちは基礎研究・病理学の研究を基に、今世界中で蔓延しつつある生活習慣病を栄養によって予防出来るということが分かってきましたから、これからは知識を広め実践していただく生涯食育が大事です。食育を実践するには、食環境を良くしていかなければならないと思います。
ご飯や魚、大豆をおいしく食べて健康長寿になれることは分かっていますが、最も大事な食が身近なところで自給出来なくなっています。日本がお金を払って食を世界中から買い集める事がそういつまでも続くとは考えられません。
日本だけでなく、地球規模で飢餓が心配されています。私たちが証明したような、痩せた土地でも生育する可能性のある大豆などを、あらゆる国でもっと上手く育て、利用する事を考えなければなりません。
また、長寿地域の方々は、毎日の食生活を非常に楽しんでいます。日本では便秘により、高齢者では食が細くなり、血中のアルブミンが落ちてきて、その結果、寝たきり・認知症になり易いので、単純なことですが毎日快便で毎日の食事が楽しく食べられることが非常に大切になってくるのですね。
それに、地球上の皆さんが力を併せて、人類の未来の健康の為に今まで自分達が受け継いできた良い食文化の宝を大事にしていこう、それが保てる条件もよく考えて作っていこうという運動をして頂ければ、やがてファーストフードが蔓延している現代の食環境を良くする事になります。
そして、食を育てるという食育の為には、人を育てる事から考えていかなければならないのではと思います。人を育てる事も大事だし、基本的に『ご飯、大豆と減塩』で成功しているのに、ご飯と伝統食が食べられない日本にしてはいけない。ご飯と伝統食を本当にきちんと育ててくれる人を育てるように考えなければならないと思います。
黒田:壮大ですね。
家森:そうです。実は、文部科学省が大学9月入学という事を言いはじめました。私は京都教育大学の経営委員をしているので一つの提案をしているのですが、高校卒業後、5〜6ヶ月間青春の大切な時間に国が生活を保障してでも、一次産業あるいは伝統産業などに参加してもらい、大学入試の評価に加えても良い。そして9月に入学させる。将来子供を育てる教師になる人には、とりわけ特別枠でもよいからそういう事を始めてみたらどうか、という事です。
私は今の若い方にはそういう事が大事だと思います。都会の生活で荒れた心を、自然に触れ、一次産業に参加することで人間が与えられた地球環境の中で共に生きる事の大切さを体験していただく、そのためには福祉事業などでご高齢の方の介護をする体験も大切でしょう。そういう社会奉仕的な事をしてから、大学教育を受ける、という事が必要なのではないかと思います。受験勉強ばかりやってきた方々が、また子供を教えたらそんな子供ばかりが育つ。人生の方向が限られたものになり、人類の未来の豊かさが失われるのではないでしょうか。
食は命と言うように、本当に食育は大事だと思いますが、ただ単に食で人を育てるのではなく、人をもって食を育てる事を本当にこれから真剣に進めれば、それぞれの人が健康長寿になれ、美しい国づくりが可能でこれからの人類に豊かな地球環境を残せる事になると、今私は考えているところです。
黒田:わかりました。是非伝えていければと思います。ありがとうございました。