心臓リハビリテーションの重要性
【プロフィール】
長山 雅俊(ながやま まさとし)
1957年 | 埼玉県生まれ |
1985年 | 昭和大学医学部卒業 昭和大学第三内科講師 |
2001年 |
榊原記念病院 現在、循環器内科部長のほか、心臓リハビリテーション室長、医療連携室長、総合患者支援センター長として勤務 |
【 受賞 】
2007年7月 第4回日本心臓リハビリテーション学会木村登賞受賞
【 著書 】
心臓が危ない (祥伝社新書)
【 その他活動 】
日本心臓リハビリテーション学会 理事・事務局長
日本循環器心身医学会 理事
心臓リハビリテーションの今昔を教えてください。
私が医師になったのは1985年です。当時の急性心筋梗塞の院内死亡率は約13%、1983年頃は20%以上ありました。今では約5〜8%ですが、一昔前は心筋梗塞になると死ぬかもしれない、あるいは死ななくても長期入院を強いられしかも重大な障害を残してしまうような病気でした。また、カテーテルでの検査や治療も徐々に普及してきた過程を見てきましたし、現在では10日くらいで退院できるまでの病気になってきています。
ただ心筋梗塞とは決してそんなに甘いものではないし、軽い症状の患者ばかりではありません。重症の心筋梗塞では、昔と同じようなスタイルで患者を診る必要があります。広範前壁梗塞などではラプチャーケアと言いますが、心破裂を起こさないように毎日エコーで観察し、水が溜まってきていないかをチェックしながら心不全の管理をしなくてはなりません。そして、その後その患者をどのように社会復帰させていくのかというのが難しい問題であり、そこから心臓リハビリテーションの必要性が生じました。
当時の心臓リハビリテーションとは、心筋梗塞になった患者さんをどう早期社会復帰させ、生活の質を取り戻し、生命予後を良くしていくかというものでした。
心臓リハビリテーションは1980年代からあったのですね。
もちろんです。『心臓リハビリテーション』という言葉自体がなかなか普及しませんでしたが、歴史自体は古いです。海外では1950年代から、日本でも久留米大学の木村登先生が心筋梗塞に対する積極的運動負荷療法を提唱していました。
今ではカテーテル検査をやります。すると、はじめから血管の状態や、心臓のポンプ機能や、その後のリスクがどれほどかという事が手に取るように分かりますので、患者ごとのリスクの層別化が入院日もしくは入院翌日くらいにはしっかり医療者たちに把握され、それに対する対策がピンポイントで取れます。あまり入院期間が長くないので体の状態もあまり脱調節状態 (deconditioning) (*1)になりません。そのため社会復帰できる患者も多くなってきました。今では、患者をどのように社会復帰させるかが課題だった昔の心臓リハビリテーションの役割とは違った役割を果たすものになっています。
今の心臓リハビリテーションの基本は『脱調節』を『再調節』することです。例えば薬を飲むのと同じように自分の体のことをきちんと知ってもらい、自己管理を理解して実践できるように働きかけるのです。そのひとつとして運動療法を理解して実践継続してもらうための教育が必要です。
先生と榊原記念病院との出会いを教えてください。
私が医師になったばかりの頃、オーストラリアで『国際心臓リハビリテーション学会』がありました。そのときこの病院で心臓リハビリテーションを始めた濱本紘先生や、心臓リハビリテーション学会の初代理事長の戸嶋裕徳教授、2代目の村山正博教授、3代目の齋藤宗靖教授など、その後の心臓リハビリテーションを20年以上支える世代の先生方がそこで仲良くなり、日本の心臓リハビリテーション学会を一緒に運営しないかという話題が出ました。そのような折に私は濱本紘先生に出会いました。その後、長いお付き合いの中で1998年くらいから榊原記念病院に来ないかと誘われはじめました。私はずっと『榊原ではとてもやっていく自信がない』とお断りをしていたのですが(笑)、結局2001年に赴任致しました。
先生の思いが詰まった施設なのですね。
この病院に赴任したのはそういったトップの方々の理解があってこそでしたが、心臓リハビリテーションに関してはこの病院の創設者である榊原仟先生の活躍あってこそなのです。アメリカは心臓の手術をした後に必ずリハビリをするのに日本ではしないことに先生は疑問を持たれ、この病院では早くから取り組まれました。濱本先生は実は不整脈をやりたかったみたいなのですが、榊原先生に『心臓リハをやらないか』と誘われたとおっしゃっていました。
普及には時間がかかりましたし、今でもやっとといったところです。
今まで医師という職業を通じて印象深い出来事はありましたか?
若い頃はたくさんの失敗をしました。いろんな病気を見逃して怒られたりもしました。
私が入った医局は、心臓・神経・神経内科・内分泌の第3内科と呼ばれるところでした。そこを選んだのは、救急の患者を診られないようでは医師としては不十分だろうと思ったからです。そこは脳卒中・心筋梗塞・バセドウ病などの内分泌疾患なども診ますので、始めのうちは今の若い先生たちと同じようにバンバン救急を診て、今日は何を診たいかなどを上の先生と相談したりしながら救急医療のトレーニングをしました。その後なぜ循環器を選択したかと言うと、当時のオーベンの先生がたまたま循環器兼リハビリの担当で、また新任教授が急性心筋梗塞とリハビリテーションを専門にされていたということが重なり、勧誘されて入局したのです。
元々心臓系はやりたかったのですが、運良く多くの先生方のご縁がありました。
ちなみに長山先生は昔どのような方だったのですか?
私は昔から気が弱く、また結構太っていました(笑)。親父も私が太っていたのを気にして、食事の前にキャベツを食べさせたりしていましたよ。今あるキャベツダイエットの走りのようなことをやっていましたね。
医学生時代はジャズのビッグバンドでギターを弾いていました。最後は部長までやりました。学生時代の後半になってようやく勉強を始めたのですが、そうすると今まで勉強してなかった反動なのかすごく勉強が面白かった気がします。ギターと違って、勉強はやった分だけできるようになるのです。ポリクリ時代でもやる気満々で行きますから先生方も結構優しく教えてくれました。医者になって半年くらい経つと当直のバイトに行ったりできるようになります。そこでも、本を抱えながら冷や冷やもので患者と接していました。それもやっぱり楽しかったし、勉強しながらお金を貰えるなんて、これはいいぞと思いました。
のりに乗ってきたわけですね(笑)。
そうですね。あっという間に1年が経ちました。2年目に一般病院に出向したのですが、その頃はまだ循環器内科医でも専門外の分野ができなければなりませんでした。そこで、内視鏡・腹部エコー・胃透視など消化器系のトレーニングを主にしていました。ちょうど内視鏡の上手な先生がいて、その先生が丁寧に教えてくれましたし、先輩にも読影を教わって2年目最後には『お前いつでも開業できるよ』なんて言われていました。入院患者の受け持ち担当で、心臓・脳卒中・肺炎・慢性疾患など様々な患者を診ましたが、どれひとつ取っても有意義でした。優しく診てあげれば患者は喜んでくれます。当直をする時には、何かしらその日のテーマを考えるようにしていました。
それは面白そうですね。
『今日はすごく優しく診よう』とか、『今日は他の先生のやり方を覗いちゃおう』などが多かったです。
先生のモチベーションも素晴らしいのですが、先生は人に大変恵まれていらっしゃいますね。
そうですね。私は本当に運がいいと思います。出向中も、大学に戻ってからも割と自分の好きな事をさせてもらいました。榊原記念病院に赴任しても、最初は医師と看護師だけがいて、運動指導士や精神科の先生に非常勤で手伝ってもらうような心臓リハビリでした。その後、理学療法士や臨床心理士に参加をしてもらい徐々にいい仲間、チームが出来てきたのです。
もちろん課題もあります。
今は方法論の転換期だとも感じています。例えば、心筋梗塞になって退院した後のプログラムは『週3回・3ヶ月間』通院の必要があります。これでは半数くらいしか参加できません。理由のひとつに、ライフサイクルに合っていないことがあります。土曜の午前中しか参加できない、休みが取れない、夜遅くにしか参加できないなど条件は多様です。また最も大切なのは、患者が自身で自己管理をきちんと行い、自宅でもできる安全なトレーニングを提供することです。そうすれば週3回通う必要がなくなりますし、土曜の午前中だけのプログラムを作ることなども可能になると思います。ただ今までなかったことを作り出すことは結構大変ですが(笑)。
これからのプログラムは『オーダーメイド型』もしくは『選択型』になっていくのかもしれませんね。
選択型の可能性が高いですね。例えばリハビリをスポーツ施設にアウトソースする事が考えられます。スポーツ施設や地区町村の健康センターでのプログラムに、『心臓リハビリ』という時間を組み込み、医師も看護師も常駐しているというイメージです。コスト的にもいいかもしれないし、一般の方々にも親しんでもらえるかなと考えてはいます。
やはり大切なのは、いくつかの選択肢を用意した中で1番理想的な方法をそれぞれの患者に対して整備をすることです。患者が不安なく社会復帰できるために医療連携システムを整備していく事が大切です。
医療有資格者やこれから医療の現場で活躍したいと思っている方に先生からアドバイスはありますか?
そうですね。医師でも看護師でも理学療法士でも医療に関わろうとする方々はみなさん、すごく優しいと思います。患者に何かしてあげたいという奉仕の精神で医療の現場を目指します。私は特に看護師を尊敬しています。患者の汚物や血液を怖がらずに一生懸命ケアしています。ケアをしていくと最初は嫌でも段々と愛情が芽生えてきます。患者を元気にしたい、やさしくしたいという気持ちを忘れないでほしいと思います。
また、心臓リハビリテーションのもう一つの側面は医療コミュニケーションです。この患者の気持ちをどう盛り上げていったらよいか、最初に会ったときにどう話してあげたらいいかという会話スキルが非常に大切です。私は、臨床心理士に私の外来に入ってもらい患者との接し方を見ていてもらうような時間を作ったことがあります。その後患者との会話に対するフィードバックの時間を作ります。するとぐっと医療コミュニケーションが良くなります。医師の皆さんにもオススメですよ。私の『心臓が危ない』という本は、書くのに8ヶ月もかけたのですが2時間で読めると言われるくらいすらっと読めます(笑)。しかしそれくらい平易な言葉で教えられる事も、なくてはならないスキルですよね。患者に受け入れられやすい雰囲気作りや説明方法は、現場でお手本となるような医師の行動を見て聞いて学んでほしいと思います。
また、医師は治らない患者に対する付き合いが下手です。良くしてあげられないという現実にストレスを感じるからです。そのような状態で患者のストレスもぶつけられると、上手にいなす事ができないのです。ただそれも経験を積むしかありません。そういうときに大切なのは、患者や患者の家族を癒すということを絶対に忘れないことだと思います。皆さんがんばってくださいね!
(*1) 脱調節状態
例えば、風邪で2,3日寝込んだ後に立ち上がっただけでフラフラしたり、起き上がっただけで血圧がストンと下がったり、不整脈や動悸、息切れがするような様子。心臓を患った後のベッドレストの期間が長いとそういった傾向が強く出やすくなる。また身体的な問題だけでなく、心的あるいは社会的な脱調節状態もある。例えばうつ傾向や、『あれほどの強い胸の痛みで死ぬかもしれない』という漠然とした不安を残し、行動に制限をかけるような状態。