HOMEDOCTOR’S EYEクローズアップDr.医療法人社団坂井瑠実クリニック理事長 坂井瑠実 先生

医療法人社団坂井瑠実クリニック理事長 坂井瑠実 先生

クローズアップドクター

透析の現状と今後の展望

坂井瑠実

【プロフィール】

坂井 瑠実(さかい るみ)

1965年 岐阜県立医科大学卒業
1966年 神戸大学医学部第二内科入局(腎臓内科)
1967年 PD開始
1968年 HD開始
1973〜79年 腎友会病院 院長
1979〜98年 五仁会住吉川病院 院長
1998年 医療法人社団坂井瑠実クリニック理事長・院長
2005年 芦屋坂井瑠実クリニック院長
2010年10月 医療法人社団坂井瑠実クリニック理事長

【 認定資格 】
日本腎臓学会指導医 日本透析医学会指導医 日本内科学会認定医

【 所属学会 】
日本内科学会 日本腎臓学会 日本透析医学会 日本糖尿病学会 日本人工臓器学会 日本止血血栓学会

先生はどのような背景で医師を目指されたのですか?

医師家系の家庭に育ったと言う背景はありましたが、私はコツコツ努力をするのが苦手で好きな教科もありませんでした。なんとなく医学部ということになってしまいました。

そのころのエピソードなどはございますか?

女性の医学生は大体T学年1〜2名でしたが、めずらしいことに私たちの学年だけは40名のうち8名女性でした。何時も最前列でノートを取る真面目な4人と、最後列で、先生がよそを向いたらよく消えていた私たち4人(笑)。
ちなみに、主人とは岐阜の同級生です。大学卒業後すぐ神戸に来てしまいましたので、卒後5年、29才で結婚しました。最初から別居でした。

もしよろしければご事情をお聞かせいただけませんか?

福井県の敦賀に育ち、高校も敦賀高校でしたが、勤務医であった父が定年後兵庫県に移ったこともあり、「嫁に行くまでは家から通え」と言われて、インターンから神戸大学にお世話になりました。その頃女性医師は本当に少数で、世間も家庭と仕事の両立には懐疑的で、どの医局も女性はあまり歓迎されませんでした。せっかく一人前の医師に育てても、すぐやめられたら医局として困ると言う理由でした。希望の小児科も、眼科も断られ、唯一フェミニストを自認する第二内科の辻教授が「飾りでもよい、当直もしなくてよい、女性大歓迎」といわれて昭和41年春、第二内科に入局し、腎臓グループに配属されました。腎臓病で有名なこの教授のもとには、常に大勢の腎臓病の患者さんが集まって、病棟は尿毒症患者でいっぱいでした。42年に自動腹膜還流装置が入って、腹膜炎に振り回され、43年5月に人工腎臓が病棟に入って、当直なしどころか連日泊り込みの「マクハリ」生活が始まってしまったのです。当時のキール型人工腎臓は、セロファン膜を張り合わせて組み立てるもので、膜を張る即ち「マクハリ」と称していましたが、なかなかうまくいかなくて、朝までかかることもありました。しかしこの人工腎臓でそれまで100%死ぬ病気であった尿毒症の患者さんが助かる!意識が戻り、食事が出来、歩いて退院出来る!という強い感激が、透析にどっぷりつかってしまう、とんでもない私の透析人生の始まりだったのです。と言うわけで結婚なんて考える余裕すらない状態でした。いろいろ考えた末の別居結婚でした。

結婚後もそれは大変でした。昭和47年、辻教授の退官で、腎臓グループは皆、第二内科をでることになりました。私は幸いなことに神戸大学第一生理、凝固線溶で世界的に有名な岡本彰祐教授の教室に席を置きながら、兵庫県では初めての腎・透析専門病院として出来た腎友会病院に、直属の上司が院長として行かれるのについて行きました。半年あまりでその先生が開業なさって、後任がなくてやめるに辞められず、32歳で院長になりそのまま数年、この病院で孤軍奮闘、夜昼なしの勤務をしていました。元の腎臓グループの先生方が応援してくださり、足場もよかったので、毎月ここで抄読会をしたりもして、何とか無事院長を務めることが出来ました。この延長上に出来たのが住吉川病院です。

黎明期、維持透析は週2回1回8時間〜10時間でした。1回の透析で1kg除水するのがやっとで、水分制限は想像を絶する厳しいものでした。ご飯の水分を少しでも減らすために炒めたり、薬をご飯に振り掛けて食べたりしている患者さんもいました。機械や透析膜の進歩で、週3回1回6時間の透析がスタンダードになり、それが5時間で出来、4時間で出来るようになって、今では除水をしようと思えば4kgでも5kgでも可能になっています。住吉川病院時代は、貧血や高血圧、血が出るぐらい掻かないと眠れない痒みやいらいら、骨・関節の痛みや変形、発汗異常、皮膚の色素沈着、アミロイドーシス等々透析の患者さんの合併症対策に追われる日々でした。現在、日本では週3回・4時間の透析が一般的ですが、30数年前と透析量が増えているわけではありませんので、不摂生をすれば命を落とす事には変わりがありません。統計調査では今でも透析患者さんの生命予後は健常人の半分です。

住吉川病院にて震災をご経験されたとお伺い致しました。

そうです。住吉川病院で阪神淡路大震災を経験しました。自家発電も40tの貯水タンクも設備していましたが、想定外といいましょうか、全館に配水する屋上のパイプが折れて、自家発電が作動したばかりに、40tの水が全部くみ上げられ、破損パイプから流れ出てしまいました。水も電気もなく、透析装置、機器もほとんど使えなくなり、透析不能でほぼ300人の透析患者を他施設に依頼し、結局92施設でお世話になりました。テレビの取材で、「水がないんです!」と訴えたら、なんと全国からペットボトルの飲料水がどんどん集まってきて・・・・飲み水でなく透析用の水のことだったんですけどね。もうこんなつらい事は2度と経験したくないと思いました。平成10年10月、このような地震が起きても困らない、震災に強い建物と設備をもったクリニックをつくりたいと、御影の地に坂井瑠実クリニックを開設しました。もうこんな地震は100年起こらない!と笑われながらのオープンでした。もちろん井水で、震災には完璧に強い建物・設備を目指しました。

しかし一番の震災対策は患者さんの自立即ち「自分の身は自分で守るしかない」と考えて、平成7年4月、自立をキーワードに芦屋坂井瑠実クリニックを開院しました。自分で出来る事はなるべく自分でしてもらっています。長時間透析、隔日透析、寝ている時間に透析をするオーバーナイト透析、在宅血液透析等を積極的に行い、ボタンホール穿刺も多くの人に取り入れ、可能であれば、自己穿刺も指導しています。私たちはよく“透析の合併症”という言葉を使いますが、私は透析の合併症は、透析をしているから起こってくる合併症ではなく、“透析不足による合併症”だと考えています。

そのような柔軟な取り組みをされている施設は多いのでしょうか。

多分そんなにはないと思います。ただ週3回4時間でも気が遠くなるほど長い拘束時間ですから、患者さんにはゆっくり時間をかけて透析をすることの重要性を十分説明して、後は時間や回数を決めるのは患者さん自身であると説明しています。現在、施設でのオーバーナイト透析が17名、隔日透析32名で、在宅血液透析(HHD)を行っている人が30名います。今まで在宅透析といえばCAPDでしたが、CAPDはEPS(腹膜硬化症)等の重篤な合併症のため生涯医療にならないので、尿量が減って、腹膜の機能が低下したらHDの併用療法を行い、この間にHHDのトレーニングをしてHHDを導入するプログラムも必要かと思っています。

世界の透析事情をお聞かせ頂けませんか?

ちなみに、日本の透析施設は北海道から沖縄まで、同じような造りで、事故防止のためにオープンで、スタッフ側から容易に見通すことの出来る構造になっています。ヨーロッパの透析は、どちらかというとプライバシーに配慮したつくりが多いようです。例えば芦屋の開院の前に見学に行ったオランダの施設では、十字に仕切られたコーナーに透析機器とチェアが置いてあり、患者さん同士が顔を合わす事がなく、インターネットや電話も完備されて、まるで仕事場になっているところもありました。患者さんに「あなたの透析時間は?回数は?」と質問したところ「週3〜4回・5〜6時間」と答え、自分はこの透析センターに「仕事をしに来ている」と答えて又パソコンに向かったのには驚きました。日本のように何が何でも週3回4時間のシステムに体調を合わせるのでなく、体調に合わせてシステムを利用するという考えが浸透していました。海外ではHHDも多く、カナダでは国策として在宅のオーバーナイト透析をすすめています。連日ゆっくり寝ている間に透析をすれば、合併症もなく、食事制限も必要でなく、元気で普通の生活が送れるとのことで、 当たり前に3000gのベビーが自然分娩出来ると聞いて驚いています。

最後に医療従事者の皆様に向けてメッセージをお願いできないでしょうか。

そうです。住吉川病院で阪神淡路大震災を経験しました。自家発電も40tの貯水タンクも設備していましたが、想定外といいましょうか、全館に配水する屋上のパイプが折れて、自家発電が作動したばかりに、40tの水が全部くみ上げられ、破損パイプから流れ出てしまいました。水も電気もなく、透析装置、機器もほとんど使えなくなり、透析不能でほぼ300人の透析患者を他施設に依頼し、結局92施設でお世話になりました。テレビの取材で、「水がないんです!」と訴えたら、なんと全国からペットボトルの飲料水がどんどん集まってきて・・・・飲み水でなく透析用の水のことだったんですけどね。もうこんなつらい事は2度と経験したくないと思いました。平成10年10月、このような地震が起きても困らない、震災に強い建物と設備をもったクリニックをつくりたいと、御影の地に坂井瑠実クリニックを開設しました。もうこんな地震は100年起こらない!と笑われながらのオープンでした。もちろん井水で、震災には完璧に強い建物・設備を目指しました。

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