日本の医療とイノベーションの底力
【プロフィール】
森下 竜一(もりした・りゅういち)
1987年 | 大阪大学医学部卒業 |
1991年 | 大阪大学医学部 老年病講座大学院 卒業 スタンフォード大学 循環器科 研究員 |
1996年 | 大阪大学医学部 助手 老年病医学教室 |
1998年 | 大阪大学医学部 講師 大阪大学助教授 大学院医学系研究科遺伝子治療学 大阪大学助教授 大学院医学系研究科加齢医学(兼任) メドジーンバイオサイエンス社 (現、アンジェスMG社)設立 |
2000年 | 香港大学 客員教授 メドジーンバイオサイエンス社(現、アンジェスMG社)取締役兼業 |
2003年 | 大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学教授 |
【対外活動】
前知的財産戦略本部本部員(2003−2007年 本部長 内閣総理大臣)
経済産業省構造改革審議会知的財産部門委員、文部科学省学術科学技術・学術政策審議会委員、内閣府総合科学技術会議専門委員などを兼任。血管生物学会理事、大学発バイオベンチャー協会副会長、日本知財学会理事、日本ベンチャー学会理事、日本抗加齢医学会理事、他。
医師を目指されたきっかけをお教えください。
祖父母から代々医者家系で育ちました。しかし、実は高校時代はあまり医者になる気はなく、どちらかと言えば官僚を考えていました。文系に行こうかと思っていたのです。
しかし親に『医者になっても厚生省に入れるよ』などと説得されました(笑)。
確かに医者というのは人を救い、感謝されるやりがいのある仕事ですから受け入れ易くはありました。ただもう少し別の世界も考えられるかな、という感覚で興味を持っていたのです。
ただ最終的には・・・医者になりました(笑)。
しばらく日本で臨床に携わられた後、渡米されていらっしゃいますがなにかきっかけがあるのでしょうか。
アメリカで研究してみたかったという気持ちは最初からありました。また、入局した医局が海外経験を積ませるケースが非常に多かったこともあり、自身の気持ちと重なりました。
そして、たまたまアメリカの大学教授からお声がかかって喜んで行かせてもらいました。
やはり日本の医療に対する考え方とアメリカの医療に対する考え方は違いますか?
まったく違います。
アメリカは、実力主義だということもあるのでしょうが、まず目的意識が明確です。研究を通して何をすべきか、それで患者が良くなるかというその1点に尽きます。それは非常にシンプルです。いかに患者の役に立つか、その為に研究がどういう方向に還元できるかを考え、それが制度として整っているのです。
現在日本でもそのような方向性に進みつつありますが、元々日本では研究が患者から離れていてもいい、下世話なことに左右されない方がいいという考え方がありました。そうではなく、アメリカでは医学部の研究は患者さんに還元されて初めて成り立つというシンプルですが、重要な原則が非常に勉強になりました。
帰国されて大学発のバイオベンチャーを立ち上げられましたが、起業しようと思われたきっかけは何ですか?
元々アンジェスMGではなく、その母体になる会社がありました。メドジーンバイオサイエンスという会社でした。今のアンジェスMGのMGというのはメドジーンの名残りです。
最初は糖尿病や高血圧で足が腐ろうとしている閉塞性動脈硬化症の末期の患者さんを治そうとして始めた研究でした。基礎研究の後には実際の治療を始めたのですが、患者さんに試す治療だけが結果ではない、これをぜひ薬にしたいと思いました。
しかし、遺伝子治療薬を作るのにかかる費用は一人につき数百万かかるのです。それを一体誰が負担するのでしょうか。効果があったらそのお金を患者から頂くのでしょうか、それとも無料であるべきなのでしょうか。
今の日本の制度では、研究費で賄えなくなると患者から頂くしかありません。しかし副作用が出ても当然保険の対象になるわけではありませんし、科学的にも実証されておりません。研究した、という意味ではいいのでしょうが、自己満足の部分が非常に強く、それを本当の意味で患者に還元するには、薬にするしかないと思いました。薬になれば、保険でカバーされますし、何かあっても補償されます。その点はアメリカでは非常に確立されており、研究の最終的な形というのは再現できることであるという考え方が徹底しています。再現されるというのは、皆が使ってみて効くか、薬になるかどうかという事です。そういう意味で考え方の根本が非常にシンプルなのです。そして我々もそういう風にしたいと思い、何か出来ないかと思いました。
遺伝子を使って血管を再生していこうという発想は元々あったものなのですか?
私がアメリカに居た頃に最初に研究していたのは、再狭窄という血管を風船療法で広げた時に再度詰まる現象を治療しようとする内容でした。バルーンを入れたときに30%〜40%の確率で血管が詰まるというのが、当時の状況でした。今は薬剤溶出ステントというのが出来て大分減ったのですが。その再狭窄防ぐ為に遺伝子を使うという研究をアメリカでしていて、それがアメリカのベンチャー企業に導出されて臨床試験まで入ったのです。 更に、血管の詰まった状態を広げるだけではなくて、血管そのものを作れないかという事に発展していったわけです。
それは発想の転換というか、研究者としては素晴らしい発想なんじゃないかと思いますが。
残念ながら、そんなことはありません。同時に皆がやっていたのです。
正直VEGFという遺伝子治療が我々より先行していましたが、ちょうど私が日本に帰るので、帰国後に何かできることはないかと考えました。帰国後、特許がしっかりしているものじゃないと将来発表出来なくなる可能性があると考え、日本に特許があるものを何か使って出来ないかと探していました。そこで、新しい物質を含めて血管が再生出来る物質を探していたのです。
するとたまたま肝臓を再生する物質として日本で見つかったHGFが血管を再生することが、わかりました。HGFは日本に特許があるし実現できるのではないかと取り組みました。
生物学的には、肝臓≠筋肉で血管=筋肉という認識だと思いますが、そうすると「肝臓の再生因子=血管の再生因子」という発想にはなかなか結びつかないように思うのですが正常に機能するのでしょうか?
大丈夫です。正常に機能します。実は、HGFはクリングルファミリーという特殊な構造の遺伝子なのですが、そのファミリーの属しているのがtPAやプラスミノーゲンなどの血管に関係する因子が多いのです。ですから構造上は血管に関係するのではと思いました。
確かに肝臓というのは毛細血管の集まりなので、肝臓の組織だけが再生して血管が再生しなかったら肝臓も機能出来ませんね。
そうです。皆そういう名前だけに捕らわれていて、血管が関係しないと思っていた人が圧倒的だったのでなかなか研究されてこなかったのです。
HGFの遺伝子の発見があったので、それを患者さんに使って研究として治療が出来ないかをまず始めました。実際やってみると適切な効果がある。そこで、薬にしましょうということになったのですが、色んな製薬会社に行ったのですが、結果的には自分自身でやろうということになりました。
多くの患者さんに協力を願うときは薬事法などの法律的な規約があると思うのですが?
遺伝子治療臨床研究審査委員会という厚生省の委員会があります。また、大阪大学にも同じ名前の委員会があり、大学で許可を得た後、国で再度審査をするという形になっています。私たちの場合は、大学に通すのが1年近くかかり、国でも1年くらいかかりました。
許可を得たあと、大阪大学では22名の患者さんにお願いし、最終的には8割ぐらいに有効性があるということがわかりました。しかし、それは本当の意味での証明ではないのです。なぜなら、プラセボのない試験でしたので、本当の意味の比較ではありません。ですから、それを元に今回アンジェスでphase3というプラセボの比較試験をして証明しました。
HPで拝見したのですが、「ナグラザイム」という薬について教えてください。
アンジェスにとっては、初めての薬です。
それは同じく血管を再生するものですか?
いえ、これは全く違ってムコ多糖症Y型という難病の治療薬で薬自体はアメリカで開発された薬だったのですが、日本でこれを売っている会社がありませんでした。
ムコ多糖症というのは先天性の遺伝病で、基本的にはムコ多糖の分解酵素が欠けています。この事によってコラーゲンの一種が異常に沈着し、関節の障害が出たり大きくなれなかったり、最後呼吸が出来なくなって早く亡くなるというものなのですが、酵素を補充してやれば問題ありません。早くから投与して効果が出れば障害も生じず長生きが出来ます。
アメリカでは薬があるのですが、日本には患者さんが非常に少なく、どこの製薬会社もやらなかったのです。
では、日本で発症されたムコ多糖症の患者さんはアメリカに渡米されて治療なさるのですか?
そうです。しかし年間5千万円くらいを自費で負担しなくてはなりません。募金を集めなければならないのですが毎年のことですから本当に大変です。ある方は個人輸入しています。
ナグラザイムはどのように作られているのですか?
CHO細胞 (チャイニーズハムスター卵巣由来)に遺伝子を入れて、細胞に酵素を作らせてその酵素を精製して薬にしています。そういう意味では遺伝子治療ではありません。
日本で開発されることによって患者さんの負担というのは軽くなったのですか?
認可が下りたので、4月にも発売が正式に出来ます。そうすると薬代は保険の適用になります。既に試験的に薬が投与されていますが、関節も動かなかった子が、今度小学校に入って鉛筆を持てるようになったという話を聞くと感慨深いです。薬があるかないかで大きく違いますよね。
ムコ多糖症の遺伝子レベルでの治療というのはアメリカではされているのでしょうか?
まだです。今回は、遺伝子治療のお薬ではないですが、アンジェスで販売することになりました。何故アンジェスが手を上げたかというと、他でやる所がないのであれば我々が引き取って患者さんに提供したいという気持ちからです。
アンジェスは元々、「アンジェ(ange)」がフランス語で「天使」という意味なのです。自然界からの贈り物である遺伝子を利用して患者さんに画期的な薬剤を届けましょうという意味です。ですから、やはり患者さんあってアンジェスの会社があるというのがスタンスなのです。他の会社がやらなくて患者さんが困っているのであれば、我々はまだ小さい会社で大きな利益が出なくてもやっていけるので、引き取りましょうという事になったのです。
まだまだやりたい事が一杯あります。
血管再生も治療薬が無かったので、出たら世界で最初の血管再生薬になります。遺伝子治療薬としては先進国として初めてです。欧米より先に日本が出しますから日本のイノベーションの底力を示す事例だと思います。
2つ目にやっているのはNF-κBデコイオリゴというアトピー性皮膚炎の薬です。アトピー性皮膚炎というのは通常ステロイドを使いますが、ステロイドは顔に塗れにくいですし子供にも使いにくいです。プロトピックという薬もあるのですが、これも非常に刺激が強いですし、元々免疫抑制剤です。
そこで、副作用のない薬を作ろうとしています。基本的にステロイドと同じ効き目なのですが、刺激感がないのと今の所臨床試験の結果ではリバウンドがありません。
アトピーの方は本当に多いですから早く開発されることを願っています。
身体に入るとデコイはすぐに分解されます。そういう意味では他の部位に副作用も今のところ全く無いので子供にも使いやすいと思います。
最後に、HPを見ていらっしゃる方々にメッセージをお願い致します。
基本的に日本の科学技術のレベルというのは非常に高いと思います。ですがそれが患者さんに届かない。その原因はベンチャーが少ないという事ではないかと思います。ベンチャーでの成功事例を確実に積み上げて行って、単純に研究が大学で終わったり論文に終わったりせずに患者さんに届くという事例を作って欲しいです。
日本でも制度が整備されてきているので、担い手としてのベンチャーを育てなければと思います。日本の多くのバイオベンチャーは何の為に研究しているかというと、自分が診ている患者さんを治したいというモチベーションがベースにあります。
大企業はやらないのです。やれないと言った方が正しいです。何万人・何千人という従業員がいますから1億円・2億円の薬なんて売っていたら赤字になりますから。
あるいは100億円でも今時は難しい。そういった意味では日本の製薬会社が生き残る為には仕方がないのですが、本当は日本人が一番必要としている薬を作る会社というのが必要であり、それが国民のニーズなのです。
先ほどのアトピー薬を例にすると、外国人はあまり気にしません。肌が厚いのもありますがどちらかというと副作用よりも切れ味を必要とします。でも日本人はやはり副作用のない薬を使いたいという思いが強い。特に顔は女性と子供は非常に気にされます。それはやはり日本人的な要求・ニーズでなのですね。
また、日本人に多い病気というのも非常に多いです。そういうものに対して薬を作る仕組みというのがなくなってきています。大手の企業は海外で治験をやります。それは企業論理的には正しいのですが、日本で出来た会社としては正しいやり方なのかな、と思います。
日本の起業レベルは負けている訳ではなく、制度が追いついていないだけなのです。
「新しい事業を始めたいという人や新しい仕事をしたいという人をどう評価するか」という質問があると、アメリカ人などは90%くらい評価すると答え、ヨーロッパでも80%です。でも日本は8%程度なのです。新しいことをしようとする風土が日本にはなかなか根付きません。
世界の一流国でいたければ、そういうことをしていかなければならないと思います。
今後の医療従事者の方も目の前の患者さんは勿論として、日本の医療のために皆さん1人1人が出来ることを一緒に考えていきたいですね。