血液学〜早期発見のために〜
【プロフィール】
奈良 信雄(なら・のぶお)
1975年 |
東京医科歯科大学医学部卒業 東京医科歯科大学医学部附属病院第一内科入局 |
1978年 | 放射線医学総合研究所 |
1983年 | カナダ国トロント大学オンタリオ癌研究所研究員 |
1994年 | 東京医科歯科大学医学部教授 |
1999年 |
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 全人診断治療学講座臨床検査医学分野教授 |
2002年 | 全国共同利用施設 医歯学教育システム研究センター教授(併 任) |
2006年 | 同センター長 |
【 著書 】
これで分かる病院の検査(講談社)
名医が明かす病気のたどりかた辞典(講談社)
地獄の沙汰も医者次第(集英社)
ホームドクターを探せ(宝島新書)
にこにこ病院読本(インターメディカル社)など多数
【 その他活動 】
全国医学部長病院長会議:医学教育委員会・FD専門委員会 委員長
医師を目指されたきっかけをお教えください。
僕は元々は生物学が非常に好きだったので、生物系に進もうと思っていました。
ただ、昭和43年くらいに医学部闘争というのがあり、その当時希望していた東大(理学部生物学科)で募集がなかった年だったのでたまたま医科歯科大学を受けて合格し入学した、というのが動機です。
かなり不純な動機で恐縮ですが、元々生物系を勉強したいという気持ちがあり、それが医学に繋がったと思います。今思い起こしても間違いの選択ではなかったと思います。
私も大学の時は分子生物をやっておりました。
では近いですね。
僕は中学生の頃から生物学に興味があって、細胞の分裂、などを勉強したくて生物系を志望していました。たまたま医科歯科大学に入学したのですが、勉強を進めるうちに血液学に興味が移りました。というのも、血液学こそ、血液細胞という細胞学に関する学問で、正しく僕の初志を貫ける領域だったのです。病気にかかった患者さんの細胞を直接手にとって研究するという事においては血液細胞−血液学−が最もやり易かったのです。
特に白血病細胞というのは形も非常にインパクトが強く、こういった細胞が何故生まれるのか、何故治療が出来ないのか、どうして増え続けるのか、医学部に入ってからも疑問の連続でした。しかも血液学は内科系でも初期に分子生物学を導入し、分子生物学の発展と共に急速に発展した学問でもあります。
私が大学で分子生物を勉強し始めたときに、実は奈良先生の本を購入させて頂いております。『遺伝子診断で何が出来るか』という本なのですが、非常に分かりやすかったです。
そうなのですか。奇遇ですね。いやはや、ありがとうございます。
医学の中で分子生物学が一番進んでいるのが血液学といっても過言ではありません。
鎌状赤血球症という病気があります。これはヘモグロビン遺伝子の異常が原因であると分かった最初の病気で、1950年代に発見され、初めて「分子病」という名前がついた疾患です。その後に分子や遺伝子の異常が原因で起こる病気がたくさんあることが分かってきたのです。
私は細胞などの増殖や形態学から入ったのですが、何をやるにも分子生物が必要になってくるので勉強しました。自分でも遺伝子の仕事をしていましたし、それが白血病の研究に繋がりますので。
白血病という病気には、分子生物学の知識はまず診断に使えます。白血病かどうかは白血病細胞の形でも診断が可能ですが、それはあまり説得力がありません。今は遺伝子や染色体の異常が分かるので、これに診断をつける方法があります。
もう1つは、細かいのですが同じ白血病と言っても急性と慢性があり、急性の中でも様々なタイプに分けられて、各々治療方法が異なります。詳細に診断するには遺伝子検査が必須の時代になってきました。急速に広がってきているこの分野に没頭してきたという感じです。
具体的な白血病の症状を教えてください。
白血病細胞が異常に増殖し、正常な赤血球・血小板・白血球の3系統とも減少してしまいます。赤血球が減るから貧血になって眩暈がする。血小板が減るから歯肉からの出血や鼻血などの症状が見られる。白血球が減るから感染症にかかり易い。
つまり、白血病細胞が増えて正常な血液細胞が追いやられる結果、さまざまな症状が出るのです。
骨髄という非常に狭いスペースで増えますので、増殖の早い悪い細胞が増えてしまうと正常な細胞が自動的に追いやられてしまうのです。すると正常な細胞が増える場所がなくなってしまいます。これが白血病で困った現象なのです。
では治療に関して教えてください。
まずは抗がん薬を使った化学療法です。白血病細胞というのは見つかった時点ですでに全身に広がっていますから外科的な手術や放射線では難しく、抗がん薬を使うのが一般的です。もう1つは骨髄移植です。骨髄移植、現在は幹細胞移植と言いますが、放射線全身照射や大量の抗がん薬を与えて患者さんの体内から白血病細胞を全部やっつけます。と同時に正常な血液細胞もすっかりなくなってしまうので、健康な方から骨髄を移植してもらい、正常な骨髄に戻すという治療方法です。
私もドナー登録をしています。これは、先程仰っていたような移植の方への協力なのですね。
そうです。血液型が変わったりしますよ。白血球の型は大事なのですが、ドナーになるのに血液型や性別は関係ありません。いわゆる血液型のABO型や染色体の違い(X・Y)というのは関係ないのです。
我々が血液学を始めたのは1974年で約30年前なのですが、当時は白血病と診断されたら、半年から2〜3年の間に残念ながら患者さんは亡くなっていました。今は助かる人も増えていて、5〜6年以上生存されている方も多くなり、治療成績は随分進歩してきています。
完治という形ですか?
残念ながら完治はなかなか難しいです。再発する方もいらっしゃるので寛解という言葉を使っています。
白血病を完全に治すのが僕の願いです。ですから、日々患者さんを診療しながら、白血病を撲滅するための研究を行っています。白血病の研究は治療に直結するだけに、やりがいはあります。
研究が患者さんに還元されて初めて成果ですよね。
血液学は難しいという先入観があるのか、現在ではあまり若い医師が血液学を専攻してくれなくなりつつあります。でも、血液学は非常に奥が深く、興味深い学問です。
また、医師の中にも血液学は苦手で、できれば診療したくないという先生もいます。でも先ほど述べたように血液学は興味深い領域です。開業医の先生方にも関心をもっていただき、診療に参画していただくような啓蒙活動のため、血液学の重要性について座談会を開催したりしています。
白血病はきちんとした治療を早急に行わなければいけません。そういう現状もあり、実地医家の先生方の協力を得て、早く診断し、早く治療のできる体制にしたいと考えています。
座談会の主な対象は開業医の方と伺いました。それは最初に症状と関わるのが近所の診療所だからこそでしょうか。
初期診断時に、発熱があって感染症を起こしていたり、鼻血がでていたりすれば、単なる風邪だと思って帰してしまわずに、白血病などの可能性も考えて専門の病院を紹介するなどの処置として頂くと助かります。
例えば、「最近歯磨き時や食事の際に歯肉からの出血が多くなったな」と思っても口の中のことを歯医者さんではなく内科のお医者さんに相談するという発想が我々一般人にはなかなか無いと思うのです。
医科歯科大学の場合は医学部の隣に歯学部があるのですが、歯学部の病院に通院して歯科医が我々に紹介し、その結果、白血病が発見されたという事例が実際に年に数例あります。
だから歯医者さんで白血病が発見されることも結構あります。
正しい医学知識、例えば今言ったように歯茎から血が出たら血液の病気かもしれないから病院を受診してほしいと思い、それからは一般人を対象にした啓蒙書を執筆するようにもなりました。
きちんとした内容の本で医学の知識を説明し、潜在的な患者さんに医学に対する関心を高めてもらい、最終的には然るべき病院に行って相談を受けて早めに治療をして頂けるように、との思いです。
一般の方と医療に携わられる方との間には知識はもちろん、意識にも差があるかもしれませんね。
もちろん一般の皆さんや社会に対する啓蒙活動も大切ですが、医師の教育も同じくらい大切です。
医師が患者さんと信頼関係を構築する為に医師自身の教育というのも勿論大切なのでしょうし、我々も『お医者さんも人なのだ』ということをちゃんと考えて歩み寄る必要があると思います。
それは非常に大切なことですね。医者と患者、やはり人間同士ですから良好な関係というのがお互いにとってハッピーです。コミュニケーションはとても大切だと思います。なかなか難しいことですが。
医師の教育という部分では、東京医科歯科大学にあるスキルスラボという施設があるようですがどういった施設ですか?
歯学部は昔から模型を使って実習を行っているのですが、医学部ではモデル人形(シミュレーター)を使った教育はあまり行われてきませんでした。
医師でなければ処置が出来ないという医師法がありますから、医学生は医学部在籍中に直接患者さんに対して医学的な処置をすることなど出来ません。できる事も限定されてきます。しかし医師の免許を取ると、その日から処置をしなければなりません。十分なトレーニングを受けることなくです。
そこでシミュレーターの人形を使って学生時代に研修を行うことが必要なのです。モデル人形を使って呼吸の音や心臓の音を聞いたり、心臓マッサージなどの救急処理や注射など、様々な医療行為の練習をします。縫合のトレーニング器具もあります。実際の患者さんに対していきなり行わなくてはならないという事態をさけるべく、シミュレーション教育でトレーニングを積むのです。
縫合のトレーニング器具なんてあるのですね。
航空機のパイロットは離着陸のシミュレーション教育がありますよね。自動車の教習所にも運転シミュレーションがある。ところが医学部の場合はそういったものがありませんでした。
ここ10年ほどでいいモデルが出て来始めたのでそれで学生に対して技能教育訓練を行おうということになったのです。
我々のところは全国共同利用施設という施設です。全国のモデルとなるようなスキルス・ラボを作って、どのようにトレーニングを行うのが効率的か、管理の問題、どのような装置や器具が優れているのかなど、様々な角度から検討しています。そして最終的にはこのスキルス・ラボを使って学生や研修医などがきちんと実習が出来て技能が取得出来たかというのを評価します。私が今力を入れている研究のうちの1つです。
特に今は女性医師のニーズが高まっています。
スキルス・ラボを利用して、出産や育児などを契機に一時離職した女性医師に研修を行うのも一つの考え方です。
当社にも研修施設があります。ご登録頂いた看護師の方にはブランクがある方も多くいらっしゃいますので、採血のシミュレーターなどを設置しております。
色々な施設でそういったプログラムを作っていますよ。ぜひ再教育できるプログラムやオープンな講習会のようなもので、再教育して現場に復帰できるようにするといいですね。現実問題として医師も看護師も不足していますし。
良い医療を続けるためには良い人材の確保が必要です。そのためにも、充実した研修を行うことが大切な事ではないでしょうか。
最後に、HPをご覧になっている方々にメッセージをお願い致します。
●一般の方々に : 医師や看護師などの医療従事者は、患者さんの健康や疾病を治す為に一生懸命努力しています。我々を信頼して欲しいと同時に、協力して頂けると嬉しいです。先ほども申しましたが、分からない事があれば適切なコミュニケーションを取って、我々と信頼関係を強く築いて頂きたいと思います。
●医療従事者の方々に : 医学というのは常に進んでいますから、常に新しい知識を持つと同時に患者さんと適切なコミュニケーションを取るようにして日頃の業務に生かして欲しいと思います。凄いスピードで医学知識は膨大になっています。日頃から文献を読んだり、インターネットを利用したりして絶えず新しい知識を身につけて頂きたいですし、新しい機器なども取り入れて効率が良くて、かつ安全な医療ができるよう、心がけて頂きたいです。これは、患者さんにも医療従事者にとっても大切なことです。なかなか難しいとは思いますが、出来れば心にゆとりを持って仕事に取り組んで頂きたいです。